後悔。
ここ最近、よく昔の事を考える。
年のせいなのか、寿命が近いのか。
たぶん、結核がらみ関連は薬も止まり順調なのだが
太鼓判をもらった訳じゃない。
次回のレントゲン検査の結果次第ではリスタートになりかねない。
血糖値の事もあるし、(今日は調子が良かったが)まだ痰が絡む事も多い。
気温が低くなってきたせいか、右手の痺れも時々あるし
最近では足の裏もジンジンと痺れている。
そういえば、何日か前。
カカトが凄く痛くて目を覚ました事が。
正確にはカカトと言うよりカカトの中。
たぶん、血行が悪いのでしょうねぇ。
自分が一番嫌いな
前(未来)では無く
後(過去)を見る人間になってしまったようだ。
が、振り返ってしまった以上、仕方無い。
明日からは再び前を見て歩くようにするとして、せっかくだから過去の後悔を公開(失笑
●ワースト3
私は年代的にギリギリ、バブリーな時代を経験できた人間なのです。
職場には、毎週のように私が代引きで注文したゲームを届けに運送屋さんが来てたし
(わざわざ愛知の通販業者から)
妹が欲しいというので「たまごっち」も約10000で購入したし
コンプ目的で所謂「トレカ」ってヤツを大人買いもした。(総額100,000以上)
今思えば、これら全て貯金していればなぁ~と。
まぁ、虫のいい話なんだけどね(苦笑
仕事は残業なんて当たり前。 土日を返上して毎日お仕事。
有給なんて最大日数を保持していて当然。
給料は入ってくるが使う暇は無い日常。
今からは想像もできないが、当時は「金を使わせてくれ!」ってのが本音。
弁当はコンビニ。
唯一の楽しみである晩酌、一人暮らし用冷蔵庫の中は缶ビールがビッシリ。
補充用のビールが減ってくると酒屋に持ってきてもらっていた。
これが入社4,5年目のペーペーの生活。
まぁ、今、思えば異常極まりないのだけどね。
●ワースト2
小学生高学年の頃、親父に呼びつけられた。
親父の前に正座で座る私。
実は当家は、かなり厳しくて社会人になるまで座る=正座でした。
新人歓迎会の時だったかな?
座敷に正座で座っていると、先輩が「足、崩せよ~」と。
が、私としては「足を崩す」の意味が分からない。
で、周囲を見ると、いつも私には正座をさせておきながら
親父が座る「あぐら」をかいている先輩衆の姿が。
見よう見まねで「あぐら」に挑戦するも関節が痛く、結局正座していた事を思い出します。
で、話は親父の前に座る私から…
父「お前は、どこの中学校に行きたい?」
いつも、こういう状況は怒られると相場が決まっていただけに
父の質問は意味が分からなかった。
今、通っている小学校のすぐ横に中学校があり
自然と、その中学校に進むものだと思っていたからだ。
私「○○○中学校」
父「友達と離れたくないか?」
今思えば、その質問の仕方がオカシイだろ(笑
当然、
私「離れたくない」
父「よし、わかった!」
対話終了。
今でも、あの不自然なやり取りは覚えている。
怒られるとばかり思っていたのに不思議な質問が二つ。
で、あっさり釈放(?)されたから。
社会人になり帰省した、ある年。
ふと、この件を質問すると…
母「実は附属中学校への入学を推薦されていたんだよ。」
母「そんな話をしたら、調子に乗ると思って伏せていたんだよ。」
それにしても、質問内容がオカシイだろ(笑
まぁ、当時の私は親の信用を得られていなかったって事だ。
親からすれば「信用されないアンタが悪い」なのだろうが。
●ワースト1
社会人になったばかりの頃。
会社のすぐ横に古い住宅があった。
そこは二世代(以上)で生活している家で会社の休憩所から見える位置にあった。
そこの家主は既に自力で歩く力も無く
車に乗せるにも家族が数人で担いで運ぶような状況。
若かりし自分は「あのようになったら、もう人なのか物なのか分からないな」と
ちょっと冷めた目で見ていた。
その反面、「それでも、家族が支えあって毎日を生活しているんだなぁ~」とも感じていた。
そんな、ある日、その家に「忌中」の文字が。
「あ~ おじいさん、亡くなったんだぁ」
ちょっと、おセンチな気分で家を見ていると
突然、怒鳴り声が。
まぁ、内容は詳しく書かないが
世話をしたとか、してないとか。
権利だとか、金だとか。
当時(今でも?)、ガキだった自分でも容易に想像がつく。
遺産争い、真っ最中な感じ。
まだ、社会人一年生だった頃の事。
休憩するにも、いちいち仲間(道連れ)を誘ってしまう状況。
なので休憩仲間も流れは把握している。
私「俺、長生きしたくないなぁ~」
O「いきなり何?」
私「長生きしたって一人で動けない状態が続き、
挙句に死んだら死んだで喧嘩の元になるのは嫌だ」
O「じゃあ、何歳で死にたい?」
私「30半ばで突然死が良いかなぁ~」
本当にさりげない、でも本音の会話。
そりゃ、そうでしょ。
20の若造からすれば、オギャーと産声をあげてから20年生きてきた。
もう一回、20年生きてれば十分かな?と。
でも、そのまんま20年を加算するのは欲張りかな? で-5年で15を足し35歳ぐらい。
今、自分がその年代に達し、思う。
酒、タバコと身体に悪いのは百も承知で続けてきた。
本当に「見栄」「意地」ってヤツほど無価値なモノは無い。
今、思うのは「娘の幼稚園での姿が見たい」
たぶん、それが叶えば
「小学生の姿が見たい」
「中学生の姿が見たい」と発展していき、
「成人式の姿が見たい」
「結婚式の姿が見たい」となるだろう。
それでも生きていたなら
「孫の顔が見たい」
「孫の幼稚園での姿が見たい」 以下、エンドレス
となるに決まっている。
人間の欲望の深さと、その際限の無さこそ恐ろしいと思う。