- 2007/05/18 18:31
- NEWS
長久手の事件…
昨日からTVで報道されている立てこもり事件。
各局がLIVEと称して生中継しているが…
犯人が民家に入っている状態(TVが見られる状態)で
放送しちゃっていいのだろうか?
まぁ、警察の規制が無いからできているんだろうけど
ちょっと情報提供し過ぎじゃない?って感じが否めません。
話は変わり、苗字の話。
今回の事件
犯人:大林
人質:森
警官:木本
殉職されたSAT隊員:林
(敬称略)
と随分と「木」の字が多い。
そんな訳で「日本全国苗字おもしろ風土記」で調べてみた。
(新人物往来社 別冊歴史読本20巻14号 1995/3/27発行)
1.鈴木 2.加藤 3.伊藤・伊東 …12.林、15.森
特に愛知に「木」の付く人が多いってわけでは無い様です。
長久手といえば有名な古戦場。
天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」
天正10年(1582)本能寺の変(明智光秀×織田信長)
天正10年(1582)山崎の戦い(羽柴秀吉×明智光秀)
天正11年(1583)賤ヶ岳の戦い(羽柴秀吉×柴田勝家)
と織田信長に代わり勢力を広げつつある羽柴秀吉に対し
反勢力の織田信雄(信長の次男)は徳川家康と組む。
羽柴軍が犬山城を落とした事を知ると
岡崎城の家康軍も小牧山に陣をはる。
それに対し羽柴軍も小牧山を包囲。戦線は膠着状態に。
この状況に池田恒興は家康の拠点、岡崎城攻めを提案。
秀吉の許可を受け、三好秀次・森長可・堀秀政ら
別働隊20,000が岡崎に向け進軍を始める。
しかし隠密行動を取るべき別働隊は岩崎城を攻めてしまい、
小牧山を抜け出していた徳川軍14,000の襲撃を受け壊滅。
その後、戦局は動かず両軍撤退となる。
家康の野戦の強さを実感した秀吉は織田信雄を懐柔。
結果、秀吉と戦う大義名分を失った家康も
秀吉と和睦、後に臣下となっていく事になる。
長久手の戦いは
戦術面で家康の勝利、
戦略面で秀吉の勝利と言った感じの歴史的にも重要な戦で
正に名人戦的な戦でもあります。
あんまり変な事で有名にならないで欲しいなぁ~